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パワハラ:「感覚」でなく「事実」で語る

前回に続き、パワハラについて思うところを書きます。



 パワハラが問題になると必ず出てくるのが「大袈裟すぎ、甘えすぎ、そのくらい普通」という意見です。
こういう意見を言う人には大きく2パターンあると思いますが、どちらの場合もはっきり言って全く正当性は無いと思います。



・俺も我慢したんだからお前も我慢しろという人

 このタイプの人は、学生時代の部活や若手社員時代に先輩から理不尽なことをされてきた人たちです。自分はされていたのに耐えていたのだから、他人もそれに耐えるべきという理論には全く正当性がありません

 こうした理不尽な経験をした人は自分がした経験を否定したくないのか、それを正当化しようする傾向があるようで、「あの辛い時期があったから今の自分がある」と理不尽な経験を美談のように語ります。その結果、後輩や部下にも同じ事を強いるようになります。
 
 しかし残念ながら昔からみんながやっていようと理不尽は理不尽なのです。自分がされて嫌だった事は後輩や下の世代にはしないのがあるべき姿です。



・自分が経験した事がなく想像で言っている人

 このタイプの人は被害に遭っている人がどれだけ辛い思いをしているか知りません。多くの場合、面倒くさいことに関わりたくないために、問題を無かった事に、見なかった事にしようとしているのです。自分は絶対安全な場所にいるからこそこういう言葉が出るのです。



 どちらの場合にせよ、一部の当事者間の「大げさ」だとか「甘えている」などという「感覚」には何の意味もありません。パワハラの疑いがある、又は報告・告発があった時は、被害者の立場を保護しつつ厳正な調査を行い、客観的事実のみに基づき当事者たちに利害関係の無い第三者が冷静な判断で処分を行うべきだと思います。
 
 この時当てにするのは「事実」と「規則(法律)」だけです。「感覚」をはさむ余地はありません。狭い集団の中ではそういった「感覚」が世間からずれて麻痺している可能性が高いからです。



 加害者側の「そんなつもり(パワハラをしているつもり)はなかった」という言葉も無意味です。「知らなかった」「ごめん」で済めば警察はいらないのです。

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