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キャリまが!

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「線を引きたがる人たち」ベビーシッター論争について思うこと



最近モデルの道端アンジェリカさんの発言が物議を醸しているようだ。

「週に1度は男と女に戻りたい。子どもは絶対、ベビーシッターに預ける。夫婦が男女でいることが一番大事。




自分が気になったのはこの発言そのものよりも、この発言を批判する声に対しての「母親に我慢を強いる日本の社会は歪んでいる!」という意見だ。

例えば以下のようなものである。


自分も子育て中の身だけど、「親が遊びに行くためにシッターに子供を預けるのは抵抗がある」と発言したところ、
  • 子供を預けられる親が近くにいない人は我慢するしかないんですね
  • 「抵抗がある」と言う人は大抵親が近くに居て恵まれてるだけのことに気づいていない!
  • とにかく「我慢至上主義」はおかしい!
と言うようなことを言われてしまった。

おいおい、すごい決めつけだな…、と。

自分も妻も預けられる親なんて近くにいないので、2人で出かけるのは子供が大きくなってからだなー、と納得ずくで我慢している。けど、別に我慢したくてしてるわけじゃないし、我慢することに価値があるなんて思わない。
ましてや他人にまで我慢を強いるつもりなんて毛頭ない。

道端アンジェリカさんの発言についての自分の率直な感想はこうだ。

欧米では夫婦が遊びに行くためにベビーシッターに預けたりするのは普通の事だと聞いたことがあるので別に驚きはしない。
けど、やっぱり赤の他人に預けるのはちょっと怖いよねー。シッターの犯罪の例とかもあるし。
のっぴきならない用事があってどっちも面倒見られない場合はともかく、遊びに行くために赤の他人に預けるのは、自分にとってはやっぱり抵抗あるかなー…。
だってそれでもし何かあったら悔やんでも悔やみきれないじゃん。

といったところだ。
おそらく道端アンジェリカさんに対しての日本人からの批判はの原因は文化の違いだけだろう。
日本人にとって遊びに行くためにシッターに預けることはそこまで馴染みがない。だが道端アンジェリカさんの文化圏では至極普通に行われていることだった、というだけのことだろう。

僕がわざわざ「抵抗がある」と発言したのも、文化の違いがあって面白い、程度の気持ちだった。


だから僕が子供をシッターに預けたくないのも、個人の危機感の問題でまさしくただの感情論だと思うので、道端さんのような人がいても良いと思うし、それは自己責任だと思う。

と上記のような発言をしたところ

と言われてしまった。
いやいや、責任の所在なんてどうでもよくない!?
単純に万が一子供に何かあったら嫌じゃん!そこはもう完全に主観で、感情論でしかない。

で、何が言いたかったかというと


とにかく、この件について何が言いたかったかと言うと、何かにつけて線を引いて「あの人たちはこう」と、争いたがる人がいるという事だ。

遊びに行くためにシッターを使うことへと抵抗は、「根拠のない我慢至上主義」などでは決してなく、親なら当然持ち得る危機感ではないだろうか?

「子供をシッターに預けることに抵抗があると言う人は親が近くに居て恵まれてるに違いない」
なんて、すごい決めつけだ。

お互い子育てに悩んだり大変な思いをして、同じ苦労を共有できる者同士のはずなのに、なぜそこまで敵視する必要があるのだろう?

大学生の頃、当時好きだったザ・ハイロウズのライブに行った時、同じものが大好きなファン同士なのに体が当たっただのナンダので喧嘩してる人たちを見て「戦争が無くならないわけだ…」と思ったのを思い出した。

なんでも感情的に線を引かず、いろんな意見があっていいじゃないかと、そう思ったのです。



Imagine (2010 - Remaster)

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